
グランドスラム大会 GRAND SLAM
テニスにおけるグランドスラムとは、世界4大大会である全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンを1年のうちにすべて制覇することをいい、一般的には「年間グランドスラム」と呼ばれる。
また、4大大会の全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンがそれぞれ「グランドスラム」(またはグランドスラム大会)と呼ばれることもある。
キャリア・グランドスラム Career grand slam
選手生活の間に、すべての4大タイトルを獲得することを「キャリア・グランドスラム」という(日本語では「生涯グランドスラム」、または「通算グランドスラム」と呼ばれる)。ゴルフと同様の用法である。上述の連勝記録を持つ人を除く、以下の選手の記録は(4大大会初優勝の年 → キャリア4冠を獲得した年)のように記述する
2010 ウィンブルドン選手権
━━━ナダル、芝2度目の優勝へ。final
ラファエル・ナダル(スペイン)VSトーマシュ・ベルディヒ(チェコ)の戦いは貫禄のナダルが勝利し2度目の優勝。ナダルの冷静な試合運びは健在。更に進化したテクニックと強靭な肉体の前に、台風の目となったベルディヒには、最後に立ちはだかる大きな頂を超えることは不可能だった。
━━━第二シードの好調ナダル貫禄の準決勝へ。
- アンディ・マレー(イギリス) VS ラファエル・ナダル(スペイン)とトーマシュ・ベルディヒ(チェコ) VS ノバク・ジョコビッチ(セルビア)で男子準決勝がおこなわれる。王者フェデラーが準々決勝で敗れる波乱があり、フェデラーを破った大金星のベルディヒ選手が世界ランキング3位のジョコビッチ選手にどう立ち向かうのか注目の戦いになる。また、貫禄のナダル選手に対してイギリスの星アンディ・マレー選手の戦いも熱戦になるに違いない。
━━━女子の優勝は、女王セレナ!final
- 2連はを狙う女王セレナ・ウイリアムス選手に油断も隙も無かった。ロシアのベラ・ズボナレア選手(21シード)が積極的に攻めたのもつかのま。途中、動揺からしょうじたサーブのミスから女王を倒すきっかけをなくしてしまう。最後までセレナ選手の弾丸サーブに圧倒された試合だった。セレナ選手が健在の内に誰がその座を奪い取るのか誰も予想つかないし、誰も連勝を止めれないかもしれない。それほどまで圧倒的な強さを誇る女王セレナの君臨は続く・・・。
━━━女子の決勝は、女王セレナが連覇を狙う!
- ロシアのベラ・ズボナレア選手(21シード)が2連はを狙う女王セレナ・ウイリアムス選手にどこまで積極的に攻められるかがポイントになる。ここまで安定した弾丸サーブで勝ち進んだセレナ。ズボナレアにはサーブの攻略を期待したい。
━━━王者フェデラーの不調はどうみる?
- 全仏オープンに続いてウインブルドンでも準々決勝敗退。1回戦であったオープニング試合でもまさかの敗退かと思えたほど神がかりなテニスが影をひそめた。サーブも安定せず体も思うように動けてない印象だった。フェデラーの時代も終焉を迎えるかもしれないとささやかれ始めたが、全米オープンではどう立て直してくるのか王者の再復活を期待したい。
王者の道程 Roger Federer
2010年グランドスラム最後の大会、USAオープンが閉幕し、好調をキープしていたフェデラー。運命の準決勝、第3シードのノバク・ジョコビッチ(セルビア)にフルセットの末敗退となってしまった。敗因は何といってもサービスの不調。準々決勝までのフェデラーは、ピンチの際に得意のサービスエースで勝利に導いた。だが、準決勝のジョコビッチに対してサービスの好調さは姿を消した。また、アンフォーストエラーが50を超えた試合だったが、今大会のフェデラーは、これまでの戦い方を一変していた。相手のミスを誘うテクニカルな手法からパワーテニス?に移行した戦術であったり、ネット際で決める展開がスピーディーで、全盛期のフットワークが戻ったような軽快な動きが見られていた。しかし、この試合ではピンチに強いフェデラーの姿はどこにも無かった。
「運が悪かったのかもしれない。相手の方が良いプレーをしたのかもしれないし、あるいは自分が間違ったことをしたのかもしれない」試合後、敗因を語ったフェデラー。
ジョコビッチ選手の優れたディフェンス能力に対して致命的なサービスダウンの連続に自滅に近い試合となってしまった。そして宿命的なナダルとの決勝戦は消え去った・・・。決勝戦では、絶好調のナダルが快勝し最年少の生涯グランドスラム達成でUSオープンの幕を閉じた。
コーチ陣も一新し、王者フェデラーが再度復活するのか。フェデラーにとって来季のグランドスラムはテニス人生最大の分岐点になりそうだ。王者の復活を切に願い宿命対決の実現に胸が躍る。
数々の記録を打ちたてた史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声も高いフェデラーの動画をYouTubeからピックアップしました。
【1】Roger Federer - 2009 Official movie
【2】Roger Federer -- The Goat Video By Monsieur Roger Federer
【3】Wimbledon 2007 Final Federer vs Nadal - Highlights Part 1/2
【4】Wimbledon 2007 Final Federer vs Nadal - Highlights Part 2/2
【5】Roger Federer 15 Grand Slam Titles HD
フェデラーのプロフィール
ロジャー・フェデラー(Roger Federer, 1981年8月8日 - )は、スイス・バーゼル出身の男子プロテニス選手。現在の男子プロテニス界を牽引するオールラウンド・プレーヤーである。身長185cm、体重80kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。男子史上6人目となるキャリア・グランドスラムを達成した。男子シングルス4大大会16勝は歴代1位の記録。
略歴
歴代最多の4大大会優勝回数を16に更新
1998年 プロデビュー。
2000年 シドニー五輪の男子シングルスでベスト4進出。
2001年 ウィンブルドンで大会4連覇中のピート・サンプラスを4回戦で破る。
2003年 ウィンブルドンで4大大会初優勝。
2004年 全豪オープン・ウィンブルドン・全米オープンで4大大会年間3冠を獲得。2月2日から世界ランキング1位になる。
2005年 ウィンブルドン・全米オープン優勝で4大大会2冠を獲得。
2006年 全ての4大大会で決勝進出。全仏オープンのみ準優勝。他の3大会で優勝。10月に初来日し、AIGジャパン・オープンで優勝。歴代1位の年間獲得賞金額を記録。
2007年 全ての4大大会で決勝進出。全仏オープンのみ準優勝。他の3大会で優勝。全豪オープンにて4大大会史上4人目の全試合ストレート勝ちによる優勝。ウィンブルドンで「5連覇」を達成。世界ランキング1位連続保持記録でも世界最長記録を更新し、12月2日には史上初の「200週」に到達。
2008年 全豪オープン準決勝で敗れ、4大大会連続決勝進出記録が「10大会」で止まる。ウィンブルドン決勝で敗れ、芝生コートでの連勝記録が65、ウィンブルドンでの連勝記録が40、同選手権の連続優勝が5で止まる。北京五輪の男子ダブルスでスタニスラス・ワウリンカと組んで金メダルを獲得。8月18日、世界ランキング1位連続保持記録が「237週」で止まる。全米オープンで「5連覇」を達成。
2009年 全仏オープン初優勝。キャリア・グランドスラム達成。ウィンブルドンで4大大会優勝回数男子歴代単独1位となる15勝目を記録。
2010年(1月31日現在)全豪オープンで優勝し、自身の持つ歴代最多の4大大会優勝回数を16に更新する。今大会は、フェデラーが父親となってからの初の4大大会制覇であり、父親となってから4大大会を制覇した選手は、アンドレ・アガシ以来である。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ロジャー・フェデラー2010/0215現在
その他の経歴
ロジャー・フェデラー基金を設立
世界的なスポーツ賞で、男子最優秀選手賞の4年連続受賞は史上初めて
慈善活動にも熱心に取り組んでおり、2003年にはロジャー・フェデラー基金を設立し、アフリカの子供たちの支援や、タイでおきた津波災害のときも自ら率先してチャリティイベントを企画して募金活動を行うなど、その活動はスポーツの枠を超えて世界中から高く評価されている。 2006年4月には、ユニセフ親善大使にも任命され、ユニセフとATPが結ぶグローバル・パートナーシップであるACE(Assisting Children Everywhere)という活動の中心人物として、世界中の子どもたちに健康と教育の機会を確保し、様々な困難から子どもたちを守るためのプログラムを推進している。2005年~2008年の4年連続で「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞を受賞した。2000年に創設されたこの世界的なスポーツ賞で、男子最優秀選手賞の4年連続受賞は史上初めてである。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ロジャー・フェデラー2010/0215現在
各種記録
4大大会
世界ランキング1位連続保持記録
2004年2月2日~2008年8月18日までの「237週」は、男女を通じた世界最長記録。
2007年2月26日にジミー・コナーズの男子歴代1位記録「160週」を抜き、同年8月27日にシュテフィ・グラフの女子歴代1位記録「186週」をも更新。同年12月2日付で史上初の「200週」に到達。
2008年8月18日、ナダルが世界ランキング1位となり、記録は「237週」で止まった。この快挙に対してスイスの郵政省は存命のスイス人として初めて切手となった。
芝生コートでの連勝記録「65連勝」 芝生コートにおける歴代最多連勝。ビョルン・ボルグの41連勝を更新。
2008年ウィンブルドン決勝でナダルに敗れるまでの記録。男子プロテニスツアー決勝戦での連勝記録「24連勝」
2003年10月のバンク・オーストリア・テニスカップから2005年の年間最終戦マスターズ・カップの決勝戦でダビド・ナルバンディアンに敗れるまでの記録。年間獲得賞金「843万ドル」
2006年に記録。ピート・サンプラスが保持していた歴代1位の記録を更新。
通算獲得賞金「4,947万5,219ドル」(2009年7月6日時点)ピート・サンプラスが保持していた歴代1位の記録「4,328万489ドル」を更新中。
3年連続年間10勝以上
2004年~2006年の記録。男子プロテニス協会によるコンピューター・ランキング導入以降史上初。
2009年生涯グランドスラム達成
全豪オープン:4勝(2004,06,07,10年)〔準優勝1度:2009年〕
全仏オープン:1勝(2009年)〔準優勝3度:2006~08年〕
ウィンブルドン:6勝(2003~07,09年)〔準優勝1度:2008年〕
全米オープン:5勝(2004~08年)〔準優勝1度:2009年〕
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ロジャー・フェデラー2010/0215現在
復活の奇跡
世界トップ選手へと躍進し始めた頃の伊達は、“ライジング・サン”(日の出)と呼ばれた。YouTubeから動画をピックアップしました。
【1】detedete 2009 Kimiko Date Krumm 1
【2】detedete 2009 Kimiko Date Krumm 2
【3】Date Krumm vs Medina Garrigues-Champ ionship Point
クルム伊達のプロフィール
伊達 公子(だて きみこ、本名:クルム 伊達 公子(クルム・だて・きみこ)、所属:エステティックTBC、1970年9月28日 - )が、2008年4月6日、現役復帰を決意したことが報じられる。4月7日に復帰記者会見を行い、12年ぶりにツアープレーヤーとして再びコートに立つことを表明。37歳にしてのプロ復帰に周囲の期待は余り大きくなかった。当時の国内プロ選手や協会関係者から、若手の育成に絡み逆に疑問視され「挑戦するのは別に問題もないしご勝手に・・・」的なコメントも聞かれた。だがしかし、結果は予想を大きく覆し国内ランキング1位。世界ランキングも60位内にまで登りつめ国内プロ選手中最高位(2010/02/01現在)にまで活躍している。
略歴
ライジングを武器に飛躍
1989年、プロ転向。同年、「サントリー・ジャパン・オープン」でWTAツアーにデビューし、岡本久美子との準々決勝まで進出。全仏オープンで4大大会にデビュー。予選3試合を勝ち上がり、本戦2回戦に進出。ウィンブルドンと全米オープンにも本戦出場。女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップ(現フェドカップ)の日本代表選手に初選出され、西ドイツ・チームとの2回戦でダブルス戦に起用された。
1990年、全豪オープンで初の4回戦進出を果たす。
1991年、8月中旬の「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会で準優勝。
1992年、2月に東京の「東レ・パン・パシフィック・テニス」で、当時世界ランキング5位のアランチャ・サンチェスを破る。3月末の「リプトン国際選手権」4回戦でシュテフィ・グラフと初対戦。全仏オープンで初めて4大大会のシード選手になり、4回戦に進出。この年の活躍により、WTAアワードの「最も上達した選手賞」(Most Improved Player of the Year)に選出された。
1993年、全米オープンで初の4大大会ベスト8進出。この4回戦で、当年度のウィンブルドン準優勝者ヤナ・ノボトナを破る。
1994年、1月にオーストラリアの「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外初優勝。日本人の女子テニス選手として、史上初の世界トップ10に躍進する。全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たした。全米オープンで2年連続ベスト8入り。日本人選手として初めて女子テニスツアー年間最終戦の「バージニア・スリムズ選手権」の出場権を獲得し、準決勝まで進出した。(当時のバージニア・スリムズ選手権は、世界ランキング16位以内の選手のみに出場資格が与えられた。)
1995年、2月の東レ・パン・パシフィック・テニスで初優勝。その決勝戦では親友のリンゼイ・ダベンポートを圧倒した。リプトン国際選手権で準優勝。全仏オープンで日本人初のベスト4進出を達成するが、準決勝でアランチャ・サンチェスに 5-7, 3-6 で敗れた。敗れたものの、この準決勝はテレビ東京系の地上波でゴールデンタイムの午後9時から放映された。11月に自己最高の世界ランキング4位を記録。
1996年4月27日 - 28日、東京・有明コロシアムで開かれた女子国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ」1回戦でドイツと対戦し、28日の試合で女王シュテフィ・グラフを 7-6, 3-6, 12-10 で破る大金星を挙げた。1996年7月4日 - 5日の2日間にわたり、ウィンブルドン準決勝でグラフと最後の対戦をする。第1セットはグラフが 6-3 で先取したが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかった。アトランタ五輪でも女子シングルスのベスト8に進出し、アランチャ・サンチェスに惜敗する。しかし8月25日、アメリカ・サンディエゴで開かれた「トーシバ・クラシック」決勝戦でサンチェスを 3-6, 6-3, 6-0 で破り、WTAツアー7勝目を挙げた。
同年9月24日に現役引退を宣言。WTAツアー年間最終戦の「チェイス選手権」2回戦で、当時16歳のマルチナ・ヒンギスに 1-6, 2-6 で敗れたのが現役最後の試合となる。世界ランキング8位での引退だった。
グラフとの通算対戦成績は1勝7敗であり、スペインのコンチタ・マルチネスには「6勝2敗」と大きく勝ち越した。またアメリカのリンゼイ・ダベンポートの若き日の好敵手でもあった。伊達の世界的な活躍は、日本の女子テニス界にも計り知れない刺激を与えた。1995年の全米オープンでは実に8人の日本人選手が本戦に直接出場するなど、伊達が活躍した時代は日本勢全体の活躍が目立った時期であった。しかし伊達の引退後、日本の他のトップ選手たちの相次ぐ引退もあり、杉山愛が日本女子テニス界をリードしてきた。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』伊達公子2010/0215現在
その後
引退と結婚。そして・・・。
シュテフィ・グラフとのエキシビション・マッチ勝利
2000年2月6日 - 8日にかけて、シュテフィ・グラフの「引退世界ツアー」で日本の対戦相手に指名され、東京体育館、名古屋レインボーホール、大阪城ホールの3会場でエキシビション・マッチを行った。2001年12月1日、ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚し、本名が「クルム伊達公子」となった。
2008年3月15日、東京・有明コロシアムにてシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワとともにエキシビション・マッチを行い、ここでは伊達が2試合とも勝利を収めた(当初はサバティーニが参戦予定だったが欠場。代わりにナブラチロワが参戦し、伊達と初めての対戦となった)。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』伊達公子2010/0215現在
現役復帰
世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるために!
予想を遥かにしのぐ躍進
2008年4月6日、現役復帰を決意したことが報じられる。4月7日に復帰記者会見を行い、12年ぶりにツアープレーヤーとして再びコートに立つことを表明する。37歳にしてプロ復帰した理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と語り、現本名の「クルム伊達公子」でプロ登録した。
2008年4月27日、岐阜市の岐阜メモリアルセンターにある「長良川テニスプラザ」で開催された「カンガルーカップ国際女子オープン」のシングルス予選で現役復帰する。3戦全勝で予選を突破し、本戦1回戦では藤原里華、準々決勝では中村藍子を破り、決勝まで勝ち進んだが、タマリネ・タナスガーン(タイ)に敗れて準優勝に終わった。15歳のジュニア選手・奈良くるみと組んだダブルス決勝では、ニコル・タイセン(オランダ) & メラニー・サウス(イギリス)組を破って優勝した。
2008年6月15日、東京有明国際女子オープンシングルス決勝で、主催者推薦で出場の18歳秋田史帆を 6-3, 6-2 で破り、シングルスでのプロ復帰後初優勝を果たした。
2008年7月12日、日本サッカー協会理事に就任する。これは同協会犬飼基昭会長の推薦によるもので、平尾誠二(神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャー)とともにサッカー界以外からの就任をした。
200811月には全日本テニス選手権に出場、女子シングルス決勝で瀬間友里加(ピーチ・ジョン)を破って16年ぶり3度目の優勝を飾る。38歳での優勝は、宮城黎子が1963年に41歳で優勝し、大会8連覇を達成した時に次ぐ年長記録である。また藤原里華と臨んだダブルスでも決勝で米村明子&米村知子組を破って17年ぶり2回目(藤原は6年ぶり3度目)の優勝を飾り、吉田友佳以来5年ぶりの単複2冠の達成者となった。
2009年、クルム伊達はグランドスラム大会にも13年ぶりの再挑戦を始め、全豪オープンで予選会を通過した。本戦1回戦では第25シードのカイア・カネピ(エストニア)に 6-4, 4-6, 6-8 で競り負け、初戦敗退。
全仏オープンでは、故障で予選1回戦を途中棄権。
ウィンブルドンにおいて、主催者推薦(ワイルドカード)で13年ぶりの出場を果たしたが、第9シードの18歳、キャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)に 7-5, 3-6, 1-6 で逆転負け。復帰後WTAツアーレベルでは接戦の試合も見せながらも9戦全敗と、ツアー初勝利の壁に弾かれていた。
2009年9月、ハンソル・コリア・オープン1回戦において地元のYe-Ra Leeを 6-3, 6-4 のスコアで下し復帰後ツアー初勝利を挙げると、2回戦で第5シードのアリサ・クレイバノワ(ロシア)には第2セット第9ゲームでマッチポイントを握られるも 4-6, 7-6(4), 6-3 の大逆転で、準々決勝では第一シードのダニエラ・ハンチュコワ(スロバキア)を 7-6(3), 4-6, 6-4 で、準決勝では前年大会優勝者のマリア・キリレンコ(ロシア)を 3-6,6-2,6-4 のスコアでそれぞれ下し決勝戦に進出。決勝ではアナベル・メディナ・ガリゲス(スペイン)6-3,6-3のストレートで下し、96年のトーシバ・クラシック以来13年振り8度目のWTAツアーシングルス優勝を果たした。
38歳11ヶ月30日での優勝は1983年のイギリス・バーミンガム大会で当時39歳7ヶ月23日でシングルス優勝を果たしたビリー・ジーン・キング(アメリカ)の記録に次ぐ歴代2位の年長優勝記録となった。
2010年2月、フェドカップに国内代表選手として出場し、現在まで2010アジアオセアニアゾーングループ【1】で連勝中である。今回中華台北に勝ち優勝を果たした日本は、4月に行われるワールドグループ2入れ替え戦に進出。これに勝てば2年ぶりのワールドグループ2復帰となる。
【1】ニュージーランド/インドネシア/韓国/中華台北/日本で争われるゾーン。
引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』伊達公子2010/02/01現在






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